2025/10/04 10:20
メジャーどころの焼き物をみてきましたが、
今回は少しマイナーどころで、美濃焼です。
しかし、名前はメジャーでなくとも凄い実力の持ち主です。
美濃焼(みのやき)は、主に現在の岐阜県東部(多治見市、土岐市、可児市、瑞浪市、笠原町など)(2025年10月現在)で生産される陶磁器の総称です。
1300年という長い歴史を持ち、その時代の人々の好みに合わせて新しい釉薬や技術を開発し、
様々な姿形や色彩の焼き物を生み出してきたことが最大の特徴です。
一つの様式にとどまらず、多種多様な焼き物が作られてきました。
現在、美濃焼は和食器の全国生産の50%以上を占める、日本一の陶磁器生産地となっています。
日常使いの食器から、茶陶(お茶の席で使われる陶磁器の総称)、美術工芸品まで幅広く生産されています。
美濃焼の歴史は、大きく以下の4つの時代に分けられます。
■奈良時代〜室町時代(起源と発展)
7世紀頃に朝鮮半島から伝わった須恵器(古墳時代に朝鮮半島から伝わった高度な技術で作られた青灰色の硬い陶質土器)
の製法が美濃にも伝わり、これが美濃焼の始まりとされています。
平安時代の10世紀頃には、植物灰を用いた灰釉(かいゆう)陶器が作られるようになります。
灰釉陶器は、植物灰を使った施釉陶器で、緑釉陶器と共に、人工的に施釉された陶器として国内最初期のものに位置づけられています。
鎌倉・室町時代には、日常的に使われる山茶碗や、古瀬戸、灰釉と鉄釉などが焼かれました。
また、室町時代末期には、大量生産を可能とする大窯(おおがま)が使用されるようになりました。
■安土桃山時代〜江戸時代初期
この時代に茶の湯が流行し、千利休やその弟子の古田織部といった茶人らの指導のもと、美濃焼は黄金期を迎えます。
黄瀬戸(きぜと)、瀬戸黒(せとぐろ)、志野(しの)、織部(おりべ)といった、日本の陶磁器を代表する独創的な様式が誕生しました。
特に織部は、斬新な姿形と豊かな色彩で、当時の焼き物界に革命をもたらしました。
この頃、斜面を利用した連房式登窯(れんぼうしき のぼりがま)も使用され始めました。
連房式登窯とは、焼成室(房)を斜面に複数連ねた窯の総称です。
■江戸時代中期〜明治時代
江戸時代中期になると、茶陶の中心が京焼などに移り、美濃では日常生活向けの食器が大量に生産されるようになります。
幕末には、白磁(はくじ)や青磁(せいじ)といった磁器の生産も始まりました。
白磁とは、白素地に無色の釉薬をかけた磁器の総称です。
また、青磁とは、青磁釉を施した磁器または炻器 (陶磁器の一種) のことです。
明治時代には、他産地との競争から分業化が進み、低コストでの大量生産が可能となり、生産工程の機械化も進んでいきました。
■大正時代〜現在
大正時代以降、機械化と技術の向上により生産規模はさらに拡大し、高級品需要も増えました。
昭和初期には、荒川豊蔵(昭和を代表する美濃焼の陶芸家)によって
途絶えていた志野の技術が再興されるなど、伝統的な技法の継承も行われました。
志野の技術とは、1930年代の古窯跡発見をきっかけに、桃山時代の茶陶の研究と実践を通じて再現したものです。
当時の制作工程や窯(半地下式大窯)にもこだわり、古窯跡の陶片を手がかりに研究を重ねて技法を確立し、現代の「志野」の復興を成し遂げました。
現在に至るまで、美濃焼は多種多様な焼き物を生産し続け、日本最大の陶磁器生産地としての地位を確立しています。
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